私の中の発達障害(ADHDとASD)

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今日の朝日です。

 

さて、ずっと書こうと思ってかけなかったことを、書きます。

https://m.youtube.com/watch?v=Sl8YPoVuU44

こちらの、本田秀夫さんの講演は自分を理解する上でとても役に立ちました。

彼は各人の発達障害を理解する上で、その人の育ち方に注目して、いくつかのタイプにわけています。

その中で私が、自分のタイプだな、と思ったのが、放任タイプでした。

耳からの情報より目から入る情報のほうが理解しやすいのに、その特性に合わせたことをしてあげないと、

言って聞かせる→❌

大切な情報が入らず、結局はネグレクトと同じ状況になる。

その場しのぎの対応にならざるをえず、

猜疑心の強い人になる。

 

私の育った家庭では、

言って聞かせるさえもなかった。

 

反省しろ

と仏壇の前で正座をさせられるだけでした。

 

猜疑心の意味を調べてみました。

 

相手の行為を疑ったり妬んだりする気持ち

 

私は猜疑心あるあるです。

あるものをないことにはできません。

私は自分の育った家庭を

「どこからパンチが飛んでくるかわからない家庭」と、人にいってたくらいだから、家庭の中でも人を信頼なんてできない状態だったてことじゃないですか。

それが当たり前で、家族ってそういうものだと思っていたけど。

私の言うパンチって、

ことばや態度での暴力です。

 

それでも、まだ中学までは、ADHDの症状はでつつも、ある面明るく生きておりました。

小学校4年から6年まで通った小学校は

我が家から道路を一つ隔てたところにありました。中学校も何か忘れ物をしても、休み時間にダッシュすれば行って帰れる距離にありました。そして、何より勉強ができたんですよ。お金の計算が苦手な私ですが。

高校から大学の話はまた明日にします。

さらに、猜疑心を強くすることがおこりますが、明日書くことにします。

 

自分のことを書いているので、反芻がおこると思いきや、ニヤニヤ笑いながらかいています。ブログに書くと、じぶんのことが客観視できるのでしょうね。

 

今日はここまで。

読んでいただきありがとうございます😭

おやすみなさい😴💤⭐

 

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