私の中の発達障害(ADHDとASD)②

前回からの続きです。そこそこ勉強はしていたが、高校3年の2学期から3学期にかけて、どう受験勉強をしたらいいかわからなくなった。3学期は殆ど高校に行っていない。どこかで、勉強していたのならまだしも、私はパニックに陥ってしまって、勉強が殆どてにつかなかった。

手近にある雑誌を読みまくっていた。読みたいから読んでいたわけではない。

それを、すぐ下の弟が、見咎めて、

「そんなことやっているんだったら勉強しろよ。」と、怒られた。

それでも、受かった大学に通い始めたら、

バカ大学とか、さんざんに言われ続けた。

私の精神がほんとうにまいっていた。

でも、言われたことを見返すため、

必死に勉強をしていた。

大学入学から2年間、心から楽しんだ記憶があまりない。

日本舞踊研究部に入って、日舞にチャレンジしてみたり、土日はパン屋でアルバイトをしていた。

そんなこともやっていたけれど、薄ぼんやりとして灰色だ。

わたしの弟は私が大学3年になろうとしたころ、めでたく志望大学に合格し、大学生活を送るようになると、イジメはやんだ。

もしかして、受験勉強のストレスを私をいじめることで、発散していたのかもしれない。

夫とこの話をしている時にもう一つ思いあたることがあった。

私が中3で、弟が中1のときの出来事である。

障子の向こう側で、弟のシクシク泣く声と共に父の声が聞こえてきた。

「お姉ちゃんもあんなに勉強できるのただから、お前ももっと勉強しなさい」

と、ものすごい圧で話している。

お姉ちゃんはすごいのだぞ、と言われて、

彼は、頑張りぬいて、受験勉強を頑張っていた。その中での、私の体たらく。

がまんできなかったのだろう。

父が弟にかけたのと同じ圧を

「お姉ちゃんできるはすじゃなかったのか?」と言う、思いを込めて、父が弟にかけたのと同じ圧をかけてきたのだろう。

 

私が弟からいじめを受けていた頃、結婚した叔母が、月に3回、自分の子供を連れて、華道を教えに実家に来ていた。叔母は私が弟にいじめられているのを、わかっていた。

後年、叔母に「Tにいじめられていたね」と、言われた時、私はそれを認めなかった。「そんなことないよ」と、言ってそれ以上何も言わなかった。本当はとてもつらかったはずなのに。

認めなかったのは私の高いプライドのせいだな。