前回からの続きです。そこそこ勉強はしていたが、高校3年の2学期から3学期にかけて、どう受験勉強をしたらいいかわからなくなった。3学期は殆ど高校に行っていない。どこかで、勉強していたのならまだしも、私はパニックに陥ってしまって、勉強が殆どてにつかなかった。
手近にある雑誌を読みまくっていた。読みたいから読んでいたわけではない。
それを、すぐ下の弟が、見咎めて、
「そんなことやっているんだったら勉強しろよ。」と、怒られた。
それでも、受かった大学に通い始めたら、
バカ大学とか、さんざんに言われ続けた。
私の精神がほんとうにまいっていた。
でも、言われたことを見返すため、
必死に勉強をしていた。
大学入学から2年間、心から楽しんだ記憶があまりない。
日本舞踊研究部に入って、日舞にチャレンジしてみたり、土日はパン屋でアルバイトをしていた。
そんなこともやっていたけれど、薄ぼんやりとして灰色だ。
わたしの弟は私が大学3年になろうとしたころ、めでたく志望大学に合格し、大学生活を送るようになると、イジメはやんだ。
もしかして、受験勉強のストレスを私をいじめることで、発散していたのかもしれない。
夫とこの話をしている時にもう一つ思いあたることがあった。
私が中3で、弟が中1のときの出来事である。
障子の向こう側で、弟のシクシク泣く声と共に父の声が聞こえてきた。
「お姉ちゃんもあんなに勉強できるのただから、お前ももっと勉強しなさい」
と、ものすごい圧で話している。
お姉ちゃんはすごいのだぞ、と言われて、
彼は、頑張りぬいて、受験勉強を頑張っていた。その中での、私の体たらく。
がまんできなかったのだろう。
父が弟にかけたのと同じ圧を
「お姉ちゃんできるはすじゃなかったのか?」と言う、思いを込めて、父が弟にかけたのと同じ圧をかけてきたのだろう。
私が弟からいじめを受けていた頃、結婚した叔母が、月に3回、自分の子供を連れて、華道を教えに実家に来ていた。叔母は私が弟にいじめられているのを、わかっていた。
後年、叔母に「Tにいじめられていたね」と、言われた時、私はそれを認めなかった。「そんなことないよ」と、言ってそれ以上何も言わなかった。本当はとてもつらかったはずなのに。
認めなかったのは私の高いプライドのせいだな。