巡礼②

護国神社に行くことになった。

護国神社とは

国家のために殉難された霊を祀る神社です。

不覚にも、今初めて知りました。

数ヶ月まえ、モコさん、M恵さんと東京の護国神社に参拝したのですが、となたを祀ってあるか関心がなかった。

「護国」というのだから、戦ってばかりいた人生(過去生、現世含めて)を終わらすということだと思っていた。

その時はまだ、私の心の中にギスギスしたものが残っていた。

 

そして、今。

新ためて、お国に、殉じてくださった数多の御霊に感謝🥲。

過去の日本人がしたくてもできなかったことを、私はしにここに生まてきた。

 

それは平和な日本を築くこと。

それは、外に向けた平和ではなく、裡に向けた平和であることを、わかっている。

その平和を築いて行っている。

そんな思いが

私の心を❤️穏やかにしてくれている。

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親子みたいだー。

 

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龍🐉が舞う

 

お次は善光寺

どなたかがご祈祷されるとかで、参拝者もそれに参加していいとうことで、ゆっきーと参加しました。

般若心経から始まり、なんか懐かしい感じがして、共に祈りを捧げました。

その前にご回廊とかいう、真っ暗な地下道を歩きました。目を瞑り、光を見ながら歩いて行くと、怖くないものですね。

巷では、心霊スポットといわれているそうです。

その後西方寺に行きました。

ダライラマが開眼したという、仏像をみてきました。

 

私は過去生でダライラマだったことがあるというご縁で、行きました、

 

チベットというと、行きたくはないけれど、懐かしい感じがしていました。

 

ダライラマのファンではないですが、彼の自伝を読んだことがあります。

中国がチベットを占領し、ダライラマは20代で、国を追われ、インド、ダラムサラで、亡命政府を樹立します。

中国のやったことに怒りを感じましたが、後に読んだ本で、19世紀末か20世紀初頭か、チベットの宗教層が堕落していたという記述がありました。

その時、私はダライラマだったかもしれない。

 

内部から崩壊していた。

必要があって、ダライラマは今の状況がある。

 

こんな事を、感じておりました。

 

 

仏像は美しかったです。

物事は変化していく。

それは、悲しいことでもなんでもない。

当たり前のことなのです。

変化を楽しんでいきたい。

死ぬその日まで。

 

戸締りがまた一つできました。

感謝🥲

 

 

 

今日は良き一日でした。⭕️

明日はもっと良い一日になります。

 

おやすみなさい😴🌙💤