護国神社に行くことになった。
護国神社とは
国家のために殉難された霊を祀る神社です。
不覚にも、今初めて知りました。
数ヶ月まえ、モコさん、M恵さんと東京の護国神社に参拝したのですが、となたを祀ってあるか関心がなかった。
「護国」というのだから、戦ってばかりいた人生(過去生、現世含めて)を終わらすということだと思っていた。
その時はまだ、私の心の中にギスギスしたものが残っていた。
そして、今。
新ためて、お国に、殉じてくださった数多の御霊に感謝🥲。
過去の日本人がしたくてもできなかったことを、私はしにここに生まてきた。
それは平和な日本を築くこと。
それは、外に向けた平和ではなく、裡に向けた平和であることを、わかっている。
その平和を築いて行っている。
そんな思いが
私の心を❤️穏やかにしてくれている。
親子みたいだー。
龍🐉が舞う
お次は善光寺。
どなたかがご祈祷されるとかで、参拝者もそれに参加していいとうことで、ゆっきーと参加しました。
般若心経から始まり、なんか懐かしい感じがして、共に祈りを捧げました。
その前にご回廊とかいう、真っ暗な地下道を歩きました。目を瞑り、光を見ながら歩いて行くと、怖くないものですね。
巷では、心霊スポットといわれているそうです。
その後西方寺に行きました。
ダライラマが開眼したという、仏像をみてきました。
私は過去生でダライラマだったことがあるというご縁で、行きました、
チベットというと、行きたくはないけれど、懐かしい感じがしていました。
ダライラマのファンではないですが、彼の自伝を読んだことがあります。
中国がチベットを占領し、ダライラマは20代で、国を追われ、インド、ダラムサラで、亡命政府を樹立します。
中国のやったことに怒りを感じましたが、後に読んだ本で、19世紀末か20世紀初頭か、チベットの宗教層が堕落していたという記述がありました。
その時、私はダライラマだったかもしれない。
内部から崩壊していた。
必要があって、ダライラマは今の状況がある。
こんな事を、感じておりました。
仏像は美しかったです。
物事は変化していく。
それは、悲しいことでもなんでもない。
当たり前のことなのです。
変化を楽しんでいきたい。
死ぬその日まで。
戸締りがまた一つできました。
感謝🥲
今日は良き一日でした。⭕️
明日はもっと良い一日になります。
おやすみなさい😴🌙💤