挨拶文の教訓

7月から9期が始まった。8期より半年に一回の割合で、Sangoに関わってくださった方々に寄付金のパンフレットと、半年の Sangoの活動の報告と理解と応援にたいする感謝を込めた印刷物を送付している。
挨拶文を書くのが私のすることだった。
今から4日ぐらい前に書き上げて、全体ミーティングで見てもらって、どう訂正されても、付け足しされても、いい、と思っていた。

全体ミーティング1日目が終わり、風呂も入り、ホッとしていたところ、ヒロさんから、挨拶文のことで話があると言われて(すごく嫌な予感がした)、話を聞いてみた。

😳
なんと、私の書いた文章が、以前書いた挨拶文と、ほぼ内容が同じだったことがわかったのだ。

なんでもっと早く気づいてくれなかったのよー、
と八つ当たりしかけたが、これは論外。
以前自分がどんな文章を書いたのか目配りしていなかった。
そして、どんな文を書こうか、関わる人と相談など一切していなかった。
私が書けばいいのでしょ、
私だってやればてきるのだから、
というような傲慢な態度だった。

ヒロさんが、差し替えの文章を作ってくれているという。
自分が書き直すのか、できているという文章を採用するのか、どうしようか迷った。

自分が、自分がと頑張るのはよくないが、書き直してみるかと思った。

自室に戻ってから、書き始めたが、書き直して書き直した。
うまくまとまらないので、寝た。
目が覚めたので(4時過ぎか?)、また書き始めた。
これでいいかな、と思える文章ができたのは、全体ミーティングが始まる時間ギリギリだった。
(お掃除も食事のお手伝いもせず、みなさんありがとうね。)
やり切ったという、清々しさよりは、精力使い果たしてしまいましたダラー、グテーというような感じでした。
仲間からはすごくイイと言われ、「えっ⁈」という戸惑い。そんなによかったのか。
→本当に自己肯定感が低い、低すぎる。

「なんだその態度は」という、モコさんからのお叱り(叱られることが大好き❤な私。)

私は責任感が欠けている。だから、自信が持てない。

挨拶文に書いたことは、外向けにカッコよく書いたものではない(そういう部分もあるが)。常日頃、自分にかたりかけてきたこと、祈ってきたことだ。

モコさんより、「あなたはあの表をどう思ってるの?」と、尋ねられた。

「うーん、評価が足りないですね。」

いいのかなー、
できたのかなー、

曖昧な自分の言葉に自分が殺されていた。

そういうことをやってきたんだ、と自分をヨシヨシしながら(否定しない)、自分を管理、監督観察していく。
根気よく、諦めずに。



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