昨日は「やってしまった」という罪悪感から(無意識のことだったけれどもそういうことだと理解した)、暗闇の中で側溝に落ちるということがあり、私は混乱の中にあった。
その中でも、これはやっとかなければと思ってしたことは、
両親に自分の発達障害を伝えるということ。
私は、そのことを叔母たちには伝えているが、両親には伝えていなかった。
父や母は一生懸命ではあったけれども、私という人間の全体を見てくれてはいなかった。
そんな親に仇を取るつもりで、障害者手帳をとって、発達障害だということを見せつけてやると、心底思っていたこともあった。
そんなことどうでもよくなって、別に伝えなくてもいいかと思っていた。
ショックを与えなくてもいいかとも思っていた。
先日、S家の遺伝子易経の学びがあったのだが、親に自分の発達障害のことを伝えたり伝えようとする何人かの姿を見て、
このままでいいのだろうか?
と思った。
両親の年齢とか、ショックを受けるのではないかという外向きの理由ではなく、私自身が本当にそれでいいのかということを、問うてみた。
両親のせいにしていたけれども、私自身が、何言われるかわからないし面倒くさい→エベレストより高いプライドがあることに気づいた。
また、モコさんから伝えられた、
「叔母さんたちから伝えられて、自分たちだけが知らなかったと気づいたらご両親ショックじゃない?」
という言葉に、そうだな、と思った。
そんなショックは与えたくない。
こういうことがあり、両親に発達障害のことを伝えたのだ。
伝えたのは、育て方の問題ではなく脳の問題であること。
1、2歳のころから癇癪があったこと、感情の起伏が激しかったこと、忘れ物が多いこと、つま先に重心をかけて歩いていたことなどを伝えて、
育てるのがたいへんだったと思います。
ありがとね。
という内容でした。
Sangoが私だけでなく発達障害人の集まりであることや助け合って生きていることなども伝えました。
「えー?なにそれ?」という感じだった。
2、3ヶ月の間で、私自身が対面で話に行く必要があることも感じています。
理解させようとは思っていないが、丁寧さは大切だと思うので。
携帯を切って、ホッとした。
しかし、母との会話を思い出し、
何だろう?この感じは?と思ったのです。
会話の再現はできないのだけれども、
マイナスからものを見てるというか、
嫌味というか、何というか、
内容ではなくて、雰囲気というか、
小馬鹿にされているような気持ちになってしまう。
そう、母と話すとこういう気持ちになることがよくある、とおもったのだが、
そのあと、「あっ」っと思った。
これって、私も他人にやっていることなんだ、と気がついた。
私は、こんな風に周りの人を不快な気持ちにさせていたのか。
母から産まれ、第一子である私は、母から影響をモロにうけている。
これまではよく似てるな、と思っていたが、どこか他人事だった。
この世にあることは、すべて、他人事ではなく自分事であることの根っこが今ここにある。見せてもらった。
有難い。感謝🥲
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