大学3年になると、かなり楽しい思い出もあり、めでたく卒業就職となるはずだったが、卒業でまた躓いた。
卒論がかけなかったのだ。
そこで、卒業延期となり、私の通っていた大学は卒業延期となった人をまとめて卒業式みたいなものをやった。
親が出席することを条件として。
母は恥をかかされたと激怒。
それ以来、何かと私を蔑んだような言葉と、態度をとっていた。
私はそういう態度をされるのは自分がいけなかったからだと、我慢していた。
でも、それはどこかに無理がいっていたかも。
私はどこか自信のない不機嫌な人だったと今は思う。
大学卒業後、教員になったのだが、家を出ればよかったのに、
「この家を出るなら、結婚の時」と言う、私の中での伝統に則った思い込みがあり、実家に私は居続けた。夫にお見合いで出会い結婚をした時、心のそこからホッとした。嬉しかった。
母の態度は基本的に変わらずであったが、
ある時突然
「私はH(三男、私が小学校1年の時生まれる)を公園に連れて行った覚えが一度もない。お前が面倒みてくれていたんだね。」
と、言い出した。
私にしたら、(何言ってるの?いまさら???)なのだが、その日を境に母がとても優しくなった。
長い間なぜあの時母は変わったのかしら?
謎だった。
その時は祖母が亡くなった直後だった。
祖母と母は血がつながった親子なのだが、母は祖母の圧(言葉や態度によるもの)に苦しんでいた。
あっ、そうか。
長年母に圧を与えていた祖母がなくなつたから、母はホッとしたんだ。
もしかして、私に対する母の態度は祖母にやられている鬱憤ばらしだったってこと???
父は特に私が40歳を過ぎてから、まだやらかしが多いことに不安を感じているらしく、「お前なにやってんだ。こんなことでどうするんだ。」圧の凄さといったらハンパない。
帰省してこれから帰るという車の中で、お説教が始まる。
ある時は、1時間以上お説教された、
これは、鬱の引き金となった。
被害者が加害者になったり、
やったらやり返したり、
難儀な家族だ。私の家族は。
私もその中で育ってきて、
話す言葉に、力が入って、圧がはいるし、すぐに戦いモードに入ってしまった。
いつ責められるのではないかと、疑心暗鬼になって、他人の言動が気になって仕方がなかった。
自分のことが疎かになるから、「うっかり」が頻発することになる。
ある時はどうしたらいいのかわからなくなってかたまる。
やっと、そんなこんなの自分を認められるようになった。
「あー、私はこんなに仕事(生活)ができないんだ。」
今素直にそう思っている。
事実は事実。認めよう。
今までのわたしの受け取り方が、歪んでいたということがわかってきました。
良かった、良かった。
そこから何かが始まる。
今回書いたことは、私がもっとも恥と思ってきた部分です。最愛の夫にも、最近話せたばかりです。
形にするのに時間はかかりましたが、
読んでいただきありがとうございます😊
おやすみなさい😴💤