私はとても怖がりである。とても緊張しやすい。
自分の育った家庭を顧みると、暴力はなかったが、そこかしこに圧があった。
他人の顔色を伺って、生きていた。
子供らしくなかった。
子供だけど大人だった。
弟たちに譲る、とか
諦めるとか、それを良しとしていた。
お姉ちゃんだからと思っていた。
他人に相談する事がなかった。
困りごとを放置するか、
もっと困った事態になるか。
子供のころは、放置しても、困った事態にはならなかった。大目にみてくれていたのか。
大人になるにつれ、困った事態になる事がしばしば出てきた。
困った事態がばれると、母は激怒した。
子供のころは手がかからなかったのに、と。
自分自身がわからなかった。
何が楽しいのかわからなかった。
うれしいけれど、うれしくない。
楽しいのだけれど、楽しくない。
喜んでいいのかしら。
結果、表情が乏しい。
乏しいのならまだいい。
不機嫌そうな顔に見えてしまう。
おこるとが、悲しいとかは表現するが、
喜びとか楽しいとかの表現の仕方がわからなかった。
それは、父や母、祖父母、曽祖父母、、、
生命の祭りのように先祖代々受け継がれてきた感情表現のパターンだ。
私はその膨大な記憶に動かされている。
私であって、私ではない。
Sangoという素晴らしい訓練の場がある。
一人じゃ気付けない事が、仲間がいるから気づける。
感謝。
Sangoを立ち上げてよかった。
みんなありがとう。
もっともっと気づいていこう。
腑に落としていこう。
実がなってくれるといいな。
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