沖縄本島北部、東村のある
Sangoというコミュニティーで、実験、実践を通じてスピリット(魂)を大切にした暮らしをしています。
ADH(アスペルガー)、
の気質、癖をもっています。
Sangoが始まってから5年余り
経ちますが、
数え切れないほど、精神的に落ち込んできました。
最近、落ち込んでも、
切り替えが早くなってきたのと、
深ーくは落ち込まなくなってきたのと、
両方あります。
それは、自分自身に課していた
高いハードルに気づき、
そのハードルをさげてみたら、
とても楽になったということです。
何回も落ち込んでみて、
あるパターンがあることに気づきました。
「もっとできるはずなのに。
くやしい、くやしい、くやしい。」
これが、私の中で、毎回こだまするのです。
このように思ってしまう一つの原因は、小学校2年か3年の出来事があります。
編み始めたかぎ針編みのマフラーが、一夜明けたら出来上がっていました。当時同居していた叔母が編み上げてしまったのです。表面上は怒らなかったですが、心の中では怒り爆発。50年近くたってもそのことを思い出すと悔しくて、悔しくてしょうがないのです。
自分の楽しみを奪われたという怒りです。
もう一つは、できなければ認められないと思い込んでいたこと。
そして、それができるはずだという思いに縛られることになります.
誰に認められたいのかというと、
その時その時で人はちがうのですが、
結局は、親に認められたい、
誉められたい、という気持ちが根底にあるのです。
親に認められたくて、弟妹の面倒を見、勉強を中心として頑張ってきた私の歴史があるのです。
親に認められたい→承認されたい。
それは、自分自身の考えがないということ。自分を大切にしてないということ。
自分を蔑ろにしているということ。
それは、怒りとして心の中に残っていました。
この二つの怒りについては、何回も何回もノートに書き、もこさんと話を何度もして、明らかになり、自分の中で腑に落ちていったことなのですが、去年の9月に、2年半ぶりに実家に帰ったことは大きかったです。
父84歳、母82歳です。会わないうちに本当に年をとりました。
(よく生きていてくれてるな)
それだけで十分だと思えました。
母が「寿美には迷惑かけられた」
と、言ったので、
(私は迷惑かけてないよ。あなたの期待通りじゃなかっただけでしょ。)
と、心の中で苦笑い😅。
マフラー🧣を編んだ叔母にも会いました。私に会えたことをとても喜んでくれました。農家に嫁いで、手作りに励み、一生懸命な人でした。50年近くも怒り続けた自分が笑えてきました。
自分を苦しめてきた怒り💢が薄くなってきて、やっとあるがままの自分を愛せるようになってきました。自分を肯定できるようになってきたのです。
べてるの日めくりカレンダーの
残念ながら100点満点の意味がわかってきたのです。
生まれきたことで、すでに100点満点なんです。
あれがダメだ、ここが足りないとダメ出しばかりして、100点めざして頑張ることはないのです。
これが、ハードルを下げて楽になったということです。
読んでいただきありがとうごさいます。
おやすみなさーい💤😴